或る障碍者の45年の足跡             1/3

~国際障害者年の基本理念「完全参加と平等」をめざして~

はじめに

『或る障碍者の45年の足跡 ~国際障害者年の基本理念「完全参加と平等」をめざして~』というテーマでお話いたします。

 今から45年前、つまり1981年は「国際障害者年」でありまして、ここに掲げられた基本理念は、障碍者が社会のあらゆる分野に他の人々と同じように参加し活動する機会を持つこと、障碍の有無に関わらずすべての人が同じ権利と責任を持ち、社会的に尊重されることを目指すことを掲げていました。

 私の受傷後の第二の人生は、この基本理念を目指して歩んできました、

自己紹介

 私は、 昭和33年(1958年)生まれの67歳です。

昭和33年は、東京タワーが完成した年であり、「ミスタープロ野球」長嶋茂雄がプロデビューした年でもあります。

いつも自己紹介の時は「東京タワーと同い年です」と言っています。

 私の障碍名は「頸髄損傷による四肢痙性不全麻痺」です。不全のため、頸損と言いながら、起立動作ができたり、発汗機能があったりと、頸損らしからぬ残存機能があります。

 私は、現在、神奈川県央に住んでおりまして、訪問介護を受けながら一人暮らしをしております。

 車椅子生活は、屋外では電動、自宅では手動の車椅子と使い分けています。この電動車椅子のおかげで、自分の意思で自由に移動できることへの喜び、開放感を日々味わっています。

 健康状態は、非常に良好で、丈夫な体を授けてくれた両親に感謝です。

残念ながら、母は昨年末に98歳目前で他界しましたが、父はまだ健在で今秋98歳になります。

座右の銘

 自己紹介のまとめとして、私の座右の銘を申し上げますと「思考は現実化する」ですが、これはナポレオン・ヒルの著書からの引用で、現実をつくる方程式は、ただ願うだけでなく、信じて動くことが不可欠である、と言う教訓です。

受傷 新たな人生のスタート

 国際障害者年の1981年、私が23歳の時に、大学へのバイク通学中に、事故で頸椎を受傷しました。

受傷後、1月半ほどで「神奈川リハビリテーション病院」(以降「神奈リハ病院」と略称)に転院しました。 

当時の神奈リハ病院は、全国に先駆けた総合的な社会復帰・医療のメッカとして、国内最大規模を誇っていた病院で、そのような病院に受傷後1ヶ月半程で入院できたのは、非常に幸運なことでした。

一寸先は闇

その神奈リハ病院に入院後程なくして、主治医から「頸髄損傷であること、不治で車椅子生活になること」を告げられ、絶望感で奈落の底に落とされた気持ちになったものです。

 まさに「一寸先は闇」で、予期せぬこと、想像もつかないことが、突然にして、誰にでも襲いかかることではあり、運命として受け止めるしかないと言わざるを得ません。

再スタートのきっかけ

そんな境遇からの「這い上がりのきっかけ」を申し上げます。

母の泣きながらの一言「悔しいね」

 ベッドサイドで、母の涙とともに言われた「悔しいね」の言葉を聞いて、母と一緒に泣いていてはいけない、このままでは終われない、終わりたくないと発奮したことを思い出します。

同室同境遇仲間との連帯

 病棟同室には、同じ境遇の仲間たちがいて、思うように動かない体の状態や、辛さを共有できたことで、自分だけではないのだという安堵感というか慰めを抱いていました。

看護師の励まし・情報提供

 入院生活では、看護師の心身面での手厚いケアや、障碍者も社会参加しているよ、という情報を提供してもらい、感銘を受けたものです。

障碍者団体行事への参加

 受傷後安定期に入り、車椅子に乗れるようになって、障碍者団体の箱根で行われた忘年会会場へ、看護師同行で電車を利用して参加させてもらい、当時の一歩外に出ればバリアだらけの時代に、車椅子でもエスカレーターや電車に乗れることを体験させてもらい、外出する喜びを教えてもらいました。

健常時の事前予習

 また、健常時にも、マスコミ報道等の情報で、中途障碍で車椅子生活となりながらも、1977年に国政史上初となる車椅子の国会議員となられた八代英太氏や、1978年から始まった「日テレ24時間テレビ」等で、障碍者の存在を教えられていたことも、多様性を理解する意味で大きかったです。

「いけない」から「いいじゃない」 

 子供の頃は「人に迷惑をかけてはいけません」と言われて育ってきましたが、できないことに助けを求める事は「迷惑をかけることではない」のだということを教えられ、人にお願いするときの忍びない気持ちから解放されたものです。

「税金の消費者」から「納税者

障碍者も社会参加しているという情報を提供してもらい、施しを受けるだけの存在、つまり「税金の消費者」から、その気になれば働いて「納税者」になれるのだという事実を知って、希望が沸いたものです。

このままで終わりたくない!

自分が中途障碍ということもあり、誰でも障碍者になる可能性がある、自分は特別な存在ではないのだという「暗示」にかけ、「このままでは終わりたくない」と感じたものです。

*イラスト:生成AI作成 Direction・構成 M.Tawara

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