壁のプレゼンが、歩く楽しみを取り戻す

私の勤務先である介護医療院では、作業療法の成果をエントランスの壁に展示しています。
二人の作業療法士が、介護医療院利用の方々と一緒に取り組んだアクティヴィティの作品です。
今月のテーマは「父の日」と「アジサイ」。色とりどりの花々が、廊下を行き交う人の目を楽しませています。
私は、その展示の前に続く20メートルほどの廊下を、デイケア利用の方と一緒に歩きます。歩行訓練の一環です。
利用者の方にとって、歩くことそのものが大切な目的です。しかし、私たち作業療法士が目指しているのは、歩くことだけではありません。
周囲に注意を払いながら、安全に歩くこと。そして、「歩く楽しみ」を取り戻すことも大切な目的なのです。
そこで、この壁の展示が格好の作業療法のツールになっています。
「そろそろアジサイの季節ですね。アジサイといえば……」
「梅雨だね。今年はもう梅雨に入ったのかな。」
「そろそろ梅雨入りですね。アジサイはいろいろな色がありますね。どの色がお好きですか。」
「ピンクがいいね。」
歩きながら、こんな会話をよく交わします。
歩きながら話ができると、日常が戻ってきたような気がします。作業療法士にとって「歩行」とは、単なる移動ではありません。
買い物であり、散歩であり、考えながら歩くという心身機能のリハビリテーションでもあります。
私たちは、一緒に歩く人の歩行機能を把握し、その日の心身の状態に合わせて話題を選びます。季節の話題ほど、誰もが答えやすく楽しめるものはありません。
特に高齢の方は、季節に結びついた思い出をたくさんお持ちです。アジサイの話から庭づくりの思い出へ、父の日の展示から家族の話へと、思いがけないエピソードにつながることもあります。
楽しい話題になると、1往復約四十メートルの歩行が2往復になり、
「もう1往復、歩いてみようかな。」
という言葉が自然に聞かれることもあります。
もちろん、作業療法士は会話だけに気を取られているわけではありません。
目は足元の運び方を観察し、耳は息づかいや声の調子を聞いています。疲れはないか、歩幅は狭くなっていないか、注意が散漫になっていないか。タイミングを見計らいながら、話しかけたり、少し休憩を提案したりしています。
この施設のエントランスの廊下には手すりがあり、床には物が置かれていません。清掃が行き届き、照明は明るく、幅も十分にあります。開放的で気持ちのよい空間を、歩く人と作業療法士だけで独占するような贅沢さがあります。そして、壁に飾られた作品の色彩が、自然に人の注意を引きつけてくれます。
このシンプルな環境を歩いていると、私たちは外の世界の複雑さにも思いを巡らせます。段差や人混み、車の音、雨に濡れた路面――。日常にはさまざまなリスクがあります。
だからこそ、安全な環境の中で「自分はどのくらい歩けるのか」「どんなことに気をつければよいのか」を知ることは、転倒予防の第一歩になるのだと思います。自分の歩く力を知る体験があってこそ、安心して次の一歩を踏み出せるのです。
今月の「今日の元気」では、季節感あふれる紙のアクティヴィティの展示と、それを活用した作業療法士の歩行訓練の様子をご紹介しました。
壁に咲くアジサイを眺めながら交わされる何気ない会話。その一歩一歩の積み重ねが、その人らしい暮らしを取り戻す力につながっているのだと感じています。 (田原)
